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代表者メッセージ(1)

 
プロフィール 代表取締役 黒田修
 
世界のダイヤモンドマーケットで勝負する体制は完成した。
あとは、その体制を、どう機能させ、拡大させるか。
 
ビジョンを形にするため、ホープインターナショナルを創業。
ホープインターナショナルを創業されたきっかけを教えていただけますか?

黒田社長
私は大学を卒業して、一年間は就職をすることもなくアルバイトをして資金を稼ぎ日本中を旅しました。それから東京に帰ってきて新聞広告をみて就職しました。株式会社三貴というジュエリーショップのチェーン店です。

そこで3年弱勤めて、最後は姫路店の店長を任せられました。店長になってある程度の成績をあげると、もう次に進む目標が無くなってしまいました。そうなると東京が懐かしくなり、東京で何か別の仕事がしたいと思ったのです。

でもその時先輩の忠告がありまして、「仕事というのは何の仕事もたいして変わらないよ、3年も宝石の仕事してきたんだからその業界を納得いくまで突き進むのもいいんじゃないの」という、まあ会話の中でのアドバイスなんですが。そのアドバイスに結構納得してしまい、まず本格的な宝石の勉強がしたくなったのです。

その当時、出来て間もない宝石学の世界的権威GIA(米国宝石学会)という教育研究機関で日本語で学べる通信教育講座に入学し、失業手当を貰いながら、ねじり鉢巻で勉強しました。
卒業するのに7、8ヶ月かかりました。卒業した後、就職活動をしていた時に、その時一緒に勉強していた業界の先輩に、「宝石の鑑定機関を一緒に設立しないか」と言う、お誘いを受けたのです。

私もまだしっかりとした目標が無くまた宝石の勉強ももっとしたかったので、是非一緒に参加させて下さいとその話をうけました。
ただ私は宝石の鑑定士でめしを食べていこうとは絶対に思わなかったので、その旨は確りと伝えておきました。そこで二年勉強させてもらい29歳の春独立しました。宝石の街、御徒町で8坪ぐらいの事務所から始めました。

 
それがホープインターナショナルですか?

黒田社長
違います。前身の「ジェムクロード商会」。”クロダ”をもじってフランス読み的なクロード。そこを基礎にして五年後に輸入業者であるダイヤモンド専門の輸入卸業、ホープインターナショナルを創ったのです。

 
なぜホープインインターナショナルをつくろうと思われたのですか?

黒田社長 
ダイヤモンドビジネスに対するビジョンみたいなものが見えてきたのです。 そのビジョンを実現する為に新しい会社を造りました。

そのビジョンを一言のキャッチコピーで表現するとすれば「24時間ダイヤモンドビジネスを」ということです。世界の三大ダイヤモンド取引所というのがあって、アントワープ(ベルギー)、テルアビブ(イスラエル)、ニューヨーク(米国)、なんですが、そこに日本のバイヤーは一週間かせいぜい二週間の予定で買付けに行ったり来たりするのがほとんど一般的な買付けのパターンなのです。大手から中小までほぼ全てがそのパターンでやっているということです。

そこに私はビジネスチャンスを感じ、もっとビビッドでスピーディで効率のいい理にかなったモデルを考えたんです。それは三大マーケットに駐在オフィスを設立しバイヤーを常駐させ、24時間休むことなくダイヤモンドビジネスをおこなう、という構想なのです。日本から始まりニューヨークで一日が終わり再び日本に日が昇るということ。そのビジョンを実現させる為に、ホープインターナショナルを1983年の9月に設立しました。

 
業界では今までやっていなかった方法を、なぜ社長は思いつかれたんですか。

黒田社長 
うちは輸入会社としては後発組だから、後発組が先発組の実績のある輸入業者と勝負していくには、戦略的に優れ、かつ実践的にも何か優位性のあるやり方を考えない限りそのうちに負けてしまう。まず私はツーリストバイヤーの非効率性を痛感しました。
どうして駐在員を派遣してそこに根付いて本当のプロを養成していかないのかと本当に疑問に思いました。また会社が単なる職人芸的なバイヤーで良しとするなら、そこには会社としてのノウハウの蓄積とか成長とかの概念がなく、全てバイヤー個人の能力に負ってしまうことになる。

私は非常に感情的な男なんですが、ビジネスは徹底的に“理”というものを優先するんです。ビジョン構想とか戦略戦術とか闘いに勝つための方法論とかを勉強し、語るのが大好きなんです。だからうちの社員には二言目には勉強せい、本を読め、ですよ。本読まない奴は上には行かないぞといつも脅かしています。
 
その仕組みは、うまくいきましたか?
黒田社長 
非常にうまく機能しました。まずビジネスのスピードが変わりますから。文字通りタイムイズマネーになります。日本で売れたものが、8時間後に今度は買付けが始まる、ということですから。今の言葉で言えば“ジャストインタイム”ですね。

だから商品の回転も資金の効率性も抜群にいいということです。バイヤーの最も重要な仕事は、情報の収集と分析であり、その為の人脈の構築です。短期で来ているツーリストバイヤーではどうしても情報不足です。駐在スタイルのバイヤーの場合は日頃からの情報量の蓄積が段違いに多いです。その情報の差がやはり有利な交渉になって現れます。当然いい買い付けのチャンスも増えます。ダイヤモンドビジネスの新しい潮流にもいち早く察知できますし。本質的なことを言えば、個人の力からシステマチックな力へのちょっとしたパラダイムシフトです。
 
業界の慣習にとらわれず独自の方法で事業を展開。
 
他に他社と差別化されたことはありますか?
黒田社長 
ダイヤモンドのチェックの仕方を変えました。それまで業界ではルーペでダイヤモンドをチェックして買付けをしていました。うちはダイヤモンドを顕微鏡でチェックするようにしました。みんな「俺はプロだ」と言ってルーペでチェックしていたんだけど、うちは変えました。顕微鏡でもっと正確に鑑定すれば、もっといい買い付けが出来る。間違いのない正確な値段がつけられるから、交渉も非常に有利に進められる。だからうちは全ての買い付けにおいて顕微鏡を導入した。まあ今ではみんながやっていることですが。

もう一つは、「リペア」をやりました。リペアというのは、主にスクラッチという表面キズをとることなのです。通常、短期買付けのバイヤーは、まずそういう発想もなかったのですが、買ってそのまま帰ってしまいます。ところがうちは買ってからでも、テーブル面、ガードル周辺の表面キズの磨き直し等々のリペアを徹底的にやりました。勿論駐在しているから可能なのですが、それをすることでかなりの値段の評価が違ってくるのです。駐在していることのメリットの追及です。ビジネスは激しい競争社会に晒されていますから、いかに競合他社との差別化を戦略的に図り、競争優位性をいかに高め築いていくか、正にサバイバルだと思います。
 
設立当初、業界の中で後発ということで、苦労したことはありませんでしたか?
黒田社長
独立した時に、私は卸経験ゼロ。販売先も基本的にはゼロ。普通、独立する人はどういうパターンでいくかというと、卸会社に就職して、3年か5年か10年いて、自分が担当した販売先と仕入先に信用を得て、それから資金的な裏づけがあって独立ということになる。しかもこの業界は手形が支払いの主流ですから、大して資金がなくてもペーパーで売買が成立するんですよ。ところが、私は小売の経験があっただけで、卸業界の世界は全く知らない。仕入れルートもないし、販売先もない。本当に徒手空拳です。

親と兄弟になんとか僅かの金を借りて、それとほんの少しの私の貯金が全ての頼るべき資金量でした。金額は恥ずかしくて堪忍して下さい。GIAで勉強していた時に知り合った業界の優しい先輩がダイヤモンドの輸入商だったので、そこで始めての買付けをさせて貰いました。今でも昨日のように覚えていますが、0.3ctのVSを三個買いました。そしてかかった時間が二時間です。金額が20万円ぐらいでした。30年経ちましたが、それが私にとってのバージンダイヤモンドかも知れません。その様に2、3個買っては1、2個売るというような形で、ゆっくりと慌てず焦らず他人を当てにすることなく、現金で固く固くやりました。

ただ私は商売を始めた当初から、ダイヤモンドのカットには非常にこだわってきました。ところが、その当時は良いカットのダイヤモンドがなかなかマーケットにないんですね。本当にカットの悪い、今から言えば粗悪品みたいなカットがマーケットに溢れていました。良いカットのダイヤモンド、と言ってもせいぜいベリーグッドカットですが、それでも探すのが大変でした。
 
その時代から、社長はカットにこだわってきたのですね。
黒田社長 
そうなんです。ダイヤモンドは輝きが全てである、というのが私のダイヤモンドビジネスの信念であり、最大のポリシーでもあります。私のダイヤモンドビジネスの歴史は、最高のカットを追及してきた歴史でもあります。その当時、アィデアルカットというカットの最高峰と認められていたものがあったのですが、1、2社の輸入会社がブランド化して独占販売していたんです。ただ余りにも高額な為マーケットでは認知度が非常にひくかったです。

要するに時代はそこまでのカットを求めていなかったということなんです。ただ私的には本当に憧れのダイヤモンドでしたね。取引してみたかったのです。不思議なものです。希望をもち続けると夢というのは実現するものなのですね。時代が経過しダイヤモンドビジネスが円熟期に差し掛かったとき、マーケットは突然アイデアルカットを要求しだしたのです。
 
そのアイデアルカットを扱えるようになったのですか。
黒田社長
最初は「リカット」することから始めました。「リカット」というのは、すでにカットされているダイモンドをもう一度全て再カットし直すということなのです。普通のカットのものを再カットしてアイデアルカットに再研磨します。昔アイデアルカットと言っていたのを今は世界的にエクセレントカットと呼びようになりました。
その為にアントワープにリカット工場を作ったのです。ただリカットというのは、貴重なキャラット(重さ)を平均一割前後も研磨して減らしてしまうんです。それとリカットというのは、説明すると非常に専門的になってしまうので結論になってしまいますが、輝きに非常に重要な要因となるシンメトリーとポリッシュが完璧に研磨できないんですよ。不思議なもので、一度カットの素晴らしさにマーケットが火を噴けば、もっと素晴らしいカットを求めるようになってきたのです。

そういった状況の中で、ダイヤモンドをスコープで覗くとハートとアローの形がシンメトリックに現れる、ハート&キューピットというエクセレントカットがマーケットに紹介され大きな反響を呼びました。私はそれに飛びつきました。本当にきれいな輝きです。

ところがそれを作るのに、やはりリカットではなかなかいいものが作れないです。そこで原石から直接カットをしなくてはこの課題を解決する方法がないという結論に達したという訳です。そこからがまた長い道のりが始まるのですが。まず最初にアントワープで非常にカット技術に優れたファクトリーとの出会いがあり、そこの社長がヤンさんというのですが、彼に原石の見方をじっくり教えてもらいそこでカット工程の全てを習い、何がポイントなのかを徹底的に講義を受け、何年もかかってやっと一人前の原石バイヤーの誕生ということになったのです。

勿論一人前になるまでには、どれだけ原石の買付けで損を出したことか、まあ仕方がないことですが。その努力の過程があってこそ現在のホープの基礎が出来上がったのですから。
 
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